岡山県高梁市の臨済宗の名勝・頼久寺。1605年に小堀遠州が作庭したとされる蓬莱式の枯山水、通称「鶴亀の庭」を描きに行った。ご住職の寛大な計らいのおかげだ。
小堀遠州は、第2代備中松山城主として備中を知行したのち、近江に赴任し、その後、伏見奉行として上洛している。そのこともあってか、千利休やその弟子古田織部に師事し、茶の湯を極めただけでなく、建築家、書家、造園師と多くの顔を持つ「武」から「数寄」への道を歩んだ天才であった。遠州の美の哲学的背景はやはり「侘び寂び」ではあるが、千利休や織部のそれと比べると遠州の美にはどこか華やかさや明るさが感じられる。特に遠州の庭造りには西洋の庭園の影響があるのではないかと言う人もおり、芝生のような一角があるなど人為的な、造形的な趣が強いのかもしれない。千利休が自然の中に美を見出す天才ならば、遠州は美を作り出す天才と言えるかもしれない。侘び寂びの「寂び」は”錆び”からきていると考える人も多く、”世阿弥の幽玄の美”と同じく、経年劣化の中に見られる”美”を尊んだ。遠州のそれはその朽ちていく様の中にさえも華やかさや明るさを見出した。これは「へうげもの」(ひょうげもの=戯け者)と称されていた遠州の師・古田織部の影響があるのかもしれない。何れにしても遠州の寂びは「奇麗寂び」と称され、旧来の侘び寂びに比べ、公家文化の華やかさが加わった洗練されたものとして、洋の東西を問わず、受け入れやすい美になっているのではないかと考えている。*数寄=風流を好むこと。
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アトリエGの絵画空間/後藤晋
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