幽玄の美

能楽を完成させた世阿弥の美の中心概念が"幽玄"である。その意味するところを言葉にするのはなかなかに大変なことではあるが、"深く儚い余情の美"と言ったところであろうか。これは豊かな四季の移ろいの中で形作られていった日本独自の美意識であり、その概念は能楽に留まらずあらゆる芸術分野で日本人の心に深く浸透している美意識のように思われる。例えば、若い人の"姿"はそれだけでも美しい、しかし彼らもいずれは老いていく。それでも老いて尚かつ残る美があるとすれば、それが本当の"花"であり、それこそが世阿弥の言う幽玄の美に違いない。経年劣化の中でさえも美を見出すと言うのは"侘び寂び"の"寂び"の美意識に似ている。先日、平櫛田中の野外彫刻をデッサンしてみた。その時、田中先生の「男盛りは百から、百から」の言葉を思い出し、元気が出た。まだまだ"美しく"描いていきたいと思っている。
↓写真は岡山県吉備津神社の隣にある宇賀神社。かなり古い稲荷神社である。

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アトリエGの絵画空間/後藤晋

洋画家・後藤晋がとりとめもなく絵のことをお話しするブログです。