倉敷市酒津公園に桜を描きに行きました。今から100年前の高梁川堤防工事の際、酒津に水門や用水路が作られました。それに合わせて農業用水を管理するために作られたのが高梁川東西用水路組合ですが、そこの明石規矩三郎主事が桜を植え育てたのが、酒津千本桜のはじまりです。昭和11年1月10日の「山陽新報」によると、当時は花見客が一日2万人、3万人と、神戸、大阪などからも大勢押し寄せていたので、花見シーズンには伯備線に臨時の酒津駅が出来るほど賑わっていたようです。
そんな酒津でのんびり花を愛でながらの制作は至福の時でした。
アトリエGの絵画空間/後藤晋
洋画家・後藤晋がとりとめもなく絵のことをお話しするブログです。
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